
大人になると、不思議なことに「新しいもの」への興味が少しずつ薄れてくる。
若い頃は違った。
新型車が出ればスペックを調べ、0-100km加速や燃費性能に胸を躍らせた。仕事でも効率を求め、恋愛でも結果を急いだ。
だが大人になると気付く。
人生は、スペックだけでは測れない。
会社では上から数字を追われ、下からは不満をぶつけられる。部下を守れば上司に怒られ、上司の顔を立てれば部下との距離ができる。
家庭に帰れば帰ったで、自分の定位置だったはずのリビングには誰も自分を待っていない。子どもはスマホを見ていて、妻も自分の世界を持っている。
嫌われているわけじゃない。
ただ、自分が主役の場所ではなくなっただけだ。
そんな年齢になる。
だからなのかもしれない。
休日の朝、わざわざ旧車のキーを回したくなるのは。
最新車ならボタンひとつで走り出せる。
だが旧車は違う。
エンジンが一発でかかる保証なんてない。
ガソリンの匂い。
少し重たいクラッチ。
信号待ちで聞こえる微かなメカノイズ。
調子が悪ければ機嫌を取らなければならない。
効率で言えば最悪だ。
だが、その面倒くささに愛着が宿る。
思い通りにならないからこそ、面白い。
そして、それはセクキャバにもどこか似ている。
世の中にはもっと合理的な遊びがある。
もっと安く。
もっと手軽に。
もっと効率よく。
それでも店へ向かう男たちがいる。
なぜか。
あの空間には「結果」ではなく「過程」があるからだ。
席について、女の子と他愛もない話をする。
仕事の愚痴をこぼすわけでもない。
家庭の話をするわけでもない。
ただ笑って、冗談を言って、酒を飲む。
その中でふと見せる一瞬の素の表情。
営業トークの隙間から見える人間らしさ。
スマホに届く短いLINE。
「お疲れさまです」
たったそれだけなのに、少しだけ気持ちが軽くなる夜がある。
もちろん分かっている。
夢だということも。
商売だということも。
大人にもなれば、そのくらい理解している。
それでも足を運ぶ。
旧車オーナーが「壊れるかもしれない」と分かっていながらエンジンをかけるように。
男は時々、合理性では説明できないものを必要とする。
延長するかどうか悩む数分間。
帰り際に振り返る瞬間。
店を出て夜風に当たりながら感じる、少しだけ満たされた気持ちと、少しだけ残る虚しさ。
その感覚まで含めて楽しんでいる。
若い頃はスピードを求めた。
最短距離でゴールへ向かうことが正解だった。
だが大人になると分かる。
本当に記憶に残るものは、効率の悪いものばかりだ。
手間がかかる。
面倒くさい。
時々後悔もする。
それでも忘れられない。
旧車も。
夜の街も。
きっと同じだ。
どちらも人生を豊かにする必需品ではない。
だが、男が男らしくいるための「余白」なのかもしれない。
誰にも理解されなくていい。
家計簿にも載らない。
履歴書にも書けない。
それでも確かに、自分を支えてくれている時間がある。
大人の男が求めているのは、最新でも最速でもない。
心のどこかに残る振動だ。
エンジンの鼓動のような。
夜の店で交わした何気ない会話のような。
数字では測れない余韻のような。
だから今日も男たちは、少し遠回りをする。
効率のためじゃない。
人生に味を残すために。
「最新より、味がある。」
それが、旧車とセクキャバを愛する男たちに共通する美学なのだ。




